一児のパパ、ともきゃんです!(一児のパパって言ってみたかった)
2024年3月までは、妻と二人で静かに暮らしていた。しかし、4月に待望の第一子の男の子が誕生し、生活は一変した。息子が生まれてから100日が経ち、毎日私たちに笑顔を届けてくれる存在。まさに家族の中心である。
しかし、この笑顔の裏には多くの困難と不安があった。全前置胎盤と診断され、帝王切開で出産するまで、紆余曲折な日々だった。
筆者パパの視点から、全前置胎盤の診断を受けた際の不安や心配について、妊娠中の管理や治療の重要性、そして赤ちゃんが無事に生まれるまでのエピソードを鮮明に語っていく。
妻と同じように前置胎盤と診断された妊婦さんには、私たちの体験が少しでも勇気と希望を届けられれば嬉しいな。どうぞ、最後までお付き合いください。
待望の第一子を妊娠!喜びと不安の日々(妊娠0ヶ月目)
2023年8月、妻から妊娠の知らせを受けた時、胸がいっぱいになった。妊活を始めて1年経ち、ようやく迎えたこの瞬間は本当に嬉しかった。
しかし、喜びと同時に不安な気持ちも押し寄せてきた。妻はSNSで妊娠から出産までには多くの壁があることを知っていたため、余計に心配していた。情報を集めすぎてしまい、不安が増したのだ。
その頃、まだコロナウイルスが流行していたため、感染対策には特に気を使った。
- 人込みを避ける
- 外出時はマスクをする
- 帰宅後は手洗いうがいを徹底する
など、慎重に行動した。ぼくは、妻とお腹の赤ちゃんを守るために最善を尽くした。
育児休暇についても計画的に話し合った。会社に相談したところ、1か月の育児休暇を頂けることになり、本当に感謝している。これで妻をサポートできる時間が確保できた。
実家の両親に第一子が妊娠したことを伝えると、孫ができることに大いに喜んでくれた。特に、68歳になるぼくの父は「これからいろいろお金もかかるから、まだまだ仕事を頑張らないとな」と嬉しそうに話していた。息子に投資する気満々な父であった。
妊娠の知らせは大きな喜びと共に、多くの不安も伴うものだった。特にコロナ禍という状況下では、感染対策にも気を使いながら過ごす日々が続いた。
医師に全前置胎盤と言われて(妊娠4ヶ月目)
妊娠初期の4ヶ月目、妻のつわりがひどくなり、毎日吐いていた。共働きの私たちは毎日同じ駅まで通勤しており、通勤中も妻は吐きそうで耐えるのが辛そうにしていた。なお、妻のリュックには妊娠中に配られるバッジを付けている。
席を譲ってくれる人は少なかった。もちろん、バッジに気づかなかった人もいただろうが、気づいても席を譲らない人が多いことに驚いた。世間には心の余裕がなく、自分のことで精一杯な人が多いんだな。
妻は「噂には聞いていたけど、こんなにつらいものか」と毎日思っていた。つわりは6週から始まり、22週頃まで続いた。ほぼ毎日吐き、なんとか会社へ着いても会社のトイレでも吐き、胆汁まで吐くこともあった。
その苦さと辛さに泣きながら耐えていた。まだ姿形もよく分からないお腹の子に対して、「つわりを頑張って耐えるからね♡」とは思えず、まるで苦行のようだった。
そんな中、4ヶ月目の定期健診で医師から全前置胎盤と診断された。前置胎盤とは、胎盤が子宮の出口を覆ってしまう状態で、通常の分娩が困難になるリスクが高いため、帝王切開が必要となることが多い。
この診断結果には大きな衝撃を受けた。医師からは、前置胎盤のリスクや治療法について詳しく説明を受け、ぼくは妻をさらに支える決意を固めた。
毎日の通勤や家事を手伝い、妻が少しでも楽に過ごせるよう努力した。一方で妻は、つわりと戦いながら全前置胎盤という新たな不安を抱えた。毎日が苦行のように感じられる中で、少しでもお腹の子のためにできることを考えながら過ごした。
切迫早産の危機!妻が緊急入院(妊娠7ヶ月目)
妊娠7ヶ月目、産婦人科の病院で医師から全前置胎盤と告げられた。全前置胎盤とは、赤ちゃんが出てくる子宮口に胎盤が完全にかぶさっている状態のことだ。この状態は非常に稀で、妊婦の約0.5%しか経験しないという。
昔の時代では、この状態での出産は非常に危険であり、母子ともに死亡するケースが多かったと聞く。しかし、現代の医学の進歩により、帝王切開による安全な出産が可能となった。医療技術の進歩には本当に感謝している。医療すごい(語彙力)
全前置胎盤では自然分娩は難しく、出産予定日より早く帝王切開で赤ちゃんを取り出す必要がある。また、切迫早産のリスクがあるため、出産予定日より前に母子の状態をチェックしつつ、大きな病院での入院が必要となった。入院期間は約1ヶ月半。
妻の入院が決まった当時、大きな病院の個室しか空いておらず、1日15,000円かかると言われたときは、医療費の高さに驚いた。頭の中で「15,000円×出産後の退院まで約1ヶ月半だから…部屋代だけで675,000円(15,000円×45日)!?うわあああああ」という計算が繰り広げられていた。
しかし、健康保険のおかげで自己負担は3割となり、さらに加入していた生命保険の給付金や出産一時金、高額療養費制度の支援もあって、実質的には出産の医療費は1円もかからなかった。初めて、税金を払っていて良かったと感じる瞬間だった。
妊娠22週から切迫早産のリスクがあり、30週でとうとう、妻は入院することになった。最初は個室での入院だったこともあり、不安と恐怖を襲われて、妻は2日間泣き続けた。しかし、3日目からは環境に慣れ、「これ以上安心な環境は無いな」と思えるようになったらしい。
血液検査やMRI検査を行い、常に母子の状態をチェックできた。入院中、医療スタッフのサポートを受けながら安心して過ごすことができたため、産後の入院期間も安心感があった。また、面会が一切NGだったことは感染症予防のため仕方ないと分かっていながらも、やはり寂しさを感じた。
全前置胎盤と診断され、帝王切開での出産が決まったことは大きな試練だった。しかし、現代の医学の進歩と保険制度の恩恵により、無事に入院と出産の準備が整った。これからの1ヶ月半、家族全員で支え合いながら、新しい命の誕生を迎える準備を進めた。
ドキドキの帝王切開!第一子誕生(妊娠9ヶ月目)
医師と相談し、出産予定日をできるだけ延ばした結果、2024年4月に出産予定日が決まった。
どこかのネット記事で、スポーツ選手は4月生まれが多いというデータを読んだことがあり、11ヶ月の差が体格や体力、学力に影響を与えるという話を聞いたからだ。ちなみに、ぼくは1月の早生まれだが、それを恨んだことはない。
赤ちゃんが順調に成長し、妻の状態も良好で、無事に出産予定の出産当日を迎えることができた。緊張と不安が交錯する中で妻を手術室に送り出した。ぼく自身、何もできない時間がもどかしく、病室で待機している間はただ祈ることしかできなかった。
妻は手術が始まる前から不安に感じ、麻酔処置が始まると涙が止まらなくなっていた。先生に「ここまで来たら大丈夫だからね」と声をかけられた瞬間、妻は号泣したという。
手術が進み、「もうすぐ足が出るよ」「おめでとうございます!」というスタッフの声が聞こえてきた時、赤ちゃんの元気な泣き声もすぐに聞こえてきた。続けて「やっと会えたね。こんなにかわいい声してるのね」というスタッフの声に、妻は涙ながらに喜んだ。
全前置胎盤のため、胎盤癒着のリスクが高く、手術は慎重に進められていた。先生たちが2人がかりで胎盤を剥がす作業を進めている間、妻は左右に揺れながら意識が朦朧としていた。
「胎盤はがれたよ!」という言葉を聞いた時、妻はほっとした。そして、「ベッドに移動するね」と言われ、気がついたら病室に戻っていた。妻は「生きて帰れた」「やっと不安から解放された」と涙を流した。
帝王切開による出産は、大きな試練だったけど、無事に赤ちゃんが生まれた瞬間の感動は何にも代えがたい。全前置胎盤というリスクを抱えながらも、医師や看護師の支えを受けて、母子ともに無事に出産を迎えることができた。この経験を通して、家族の絆が一層深まったことを実感している。
無事退院!新しい家族のスタートが始まる(出産後)
帝王切開での出産後、妻はすぐにリハビリを開始した。一方、息子は出産直後の3日間、新生児集中治療管理室(NICU)に入っていた。ミルクをうまく飲むことができず、心配な日々が続いた。
仕事帰りに病院へ行って息子の様子を見に行くと、部屋中に「ピーピー」という音が鳴り響いており、その音を聞くたびに息子の状態が気になって仕方なかった。
そんな心配も束の間、息子は自分でミルクを飲めるようになり、無事に妻の病室に移動できることになった。毎日、妻からLINEに息子の写真が送られてきて、仕事のモチベーションが上がる。母子ともに状態が良くなり、出産から1週間後には無事に退院することができた。
退院してからの生活は、新しい発見の連続だった。今では息子が誕生してから3か月が経ち、元気よく笑って、泣いて、手足を動かしている。特に足の動きが活発で、これからの成長が楽しみでならない。
医師からハイリスクの出産になると告げられたときは、不安でいっぱいだったが、元気に生まれてきてくれた息子を見て、本当に奇跡だと感じた。
妻にとって出産は命がけの経験だった。とくに、帝王切開での出産はリスクが高く、全前置胎盤という診断もあり、不安は尽きなかった。無事に息子が生まれてきてくれて、本当に嬉しかった。出産は命がけの挑戦であり、すべてのママを尊敬していると、妻は言った。
出産は命懸けというけど大袈裟じゃなかった
出産が命懸けだという言葉は決して大袈裟ではない。知恵袋に掲載されていた主婦の書き込みを読んだ。
私は出産は命がけということを口にした瞬間夫の顔色が変わりました。
引用元:夫にこんなことを言われました | 恋愛・結婚 | 発言小町
そして私にこう言いました。
「外で働くのも命がけ。外で働くということは交通事故にあう機会もあり過労死の危険もある。
死亡率はむしろ出産よりはるかに高い。
これは国のデータでも出ている。俺の方が危険なんだが?」と言ってきました。
彼女が「出産は命懸けだ」と口にした瞬間、夫の顔色が変わり、「外で働くのも命懸けだ」と言い返されたというエピソードだった。このやり取りを読んで、ぼくは感じた。出産も仕事も大変で、それぞれ命懸けの大事な役割だと思う。
ぼく自身、妻の出産を間近で見て、その大変さを痛感した。出産時、妻は3,000ml※近く出血し、手術は予定時間の2時間を超えた。妻も「死ぬかもしれない」と言っていたほどだ。病院が事前に貯血していたことで難を逃れ、医師の丁寧な対応により後遺症もなく、今も元気に過ごしている。
- 通常の自然分娩では、約500mlの出血があるとされている。
この経験を通じて、出産がいかに命懸けであるかを理解した。野球で勝つためにはスタメンの選手だけではなく、控え選手や監督、コーチが一致団結しなければならないように、出産も育児も家族全体で支え合うことが必要ではないかと学んだ。
今では、息子が誕生してから100日が経ち、毎日笑顔を見せてくれる。これからも妻と息子の3人で、楽しく元気よく暮らしていたい。妻には「頑張ったね」と褒めるだけでなく、年内に蓬莱軒でひつまぶしを食べに連れて行く予定だ。(妻がどうしても食べたいっていうから)
出産が命懸けであることは決して大袈裟ではない。命懸けの出産を乗り越え、元気に過ごしている妻と息子を見ると、本当に奇跡だと感じる。これからも家族の支えを大切にしながら、妻と息子と共に、一生語っていけるような最高の思い出を作っていきたい。
さて、今年の夏は名古屋港水族館に行く計画を立てるか。(夏は暑くて溶けそうだからやっぱり屋内だね)